2017年10月発行 ひふみふみ 第16号

ひふみふみ
 

神さまのカビ=麹菌

「飲む点滴」で一躍その名を広めている「甘酒」
自分流に作って飲む方も増えたと思います。甘酒を始めお酒はお米を発酵させて作りますよね、それには麹菌が欠かせません。嫌がらないでくださいね、
d(^_^o)麹菌はカビです。

前回は糀(ニホンコウジカビ)と麹の違いについてお話をしました。 今回は麹菌で作るお酒に見る神聖的な部分をお話ししたいと思います。

スサノオノミコトがヤマタノオロチを

退治する時に酒を飲ませた神話


ヤマタノオロチを酔っ払わせた酒を「八塩折の酒」(やしほの酒)と言います。
当時の語義で解釈すると
「8回重ねて仕込んだお酒」ということになります。
一度できた酒をまた酒で仕込み・・・というプロセスを8回も 繰り返すとう贅沢な酒のようです。

古代では今ほどの酒の醸造技術が進ん
でいなかったので、酒を酒で仕込むことによってアルコール濃度を高めようという発想だったのだと思う。

でも実際は、
8回も重ねて仕込んだら、濃度が高くなりすぎて酵母が育たない(アルコール度数20°Cを超えるあたりで酵母が死んでしまい発酵が止まってしまう)

 

どうやって8回も重ねて仕込んだんだろ〜なぁ〜(笑)

この「酒を酒で仕込む」という醸造法は現代になって「貴醸酒」という、濃厚な甘味を持つ高級酒として復活していたりする。8回も仕込んでいないけどね〜。

 


神話どおりだと8回重ねて仕込んだ酒を8頭あるオロチにそれぞれに飲ませたのだから、すごい量を作ったことになる。 古事記時代の日本人はすでに「組織的に大量の酒を醸造できるインフラ」を持っていたのかも!
たぶんそれは・・・酒が単なる嗜好品を超えた「聖なる液体」だったからだ。

キリスト教文明におけるワインのように、 酒は宗教や神の概念と強く結びついている。アメリカ大陸やアジアの部族社会に赴いた文化人類学者たちも、先住民たちが 祭りや儀式の場で酒を飲みトランスする様子を目撃している。



酒は神が人間に与えた神聖なものであり、日常の「ケ」から非日常の「ハレ」へと人を誘い、神の世界と交信することを可 能にする触媒じゃないだろか。


笑ったちゃう話だけど、普段は言えないことも、酒が入ると、胸の内に抑えていた感情や言葉が飛び出してくること、ありませんか?
酔っ払っちゃうと軽くトランス状態になるし、ペラペラと饒舌になるよーな気がする。
吐き出した後はスッキリするし、これは浄化作業?!独りじっくりと内面と向き合いながら酒を楽しむ人もいるし、思いがけない発想が思いつくこともあるだろう。

神聖な存在はいつも内側にいると私は思っている。それと交信するにはオシャベリな「脳みそ」が邪魔だ。 ちょっと黙っててもらおうねって!感じかな。


現在でも伊勢神宮や出雲大社など主要な神社には「酒殿」と呼ばれる部屋がある。

中世に至るまで、酒は神社の一角で作られるものだった。神にお米をお供えしたら、そのまま酒殿に持っていって麹菌をくっつけて酒にする。
近代以降 の酒造りは冬に行うが、神社での酒造りは6月によく行われていたらしい。
梅雨の時期にあたるので、お米が湿ってカビるには最適な時期だったのだろね。

ベルギーの僻地の修道院で、修道士が神に祈りを捧げながらクラフトビールを醸すが如く、日本の神社でも酒司(さけのつかさ)
と呼ばれる技術者たちが日本酒を醸していた(現代に伝わるレシピによると、甘めのどぶろくのようなもの。これがお正月に神社で振舞われる甘酒の起源)。ここで仕込んだ酒を、ヤマタノオロチのもとに運び、日本に平和をもたらした。


さてここで当時の酒司の立場になって想像してみる…。
神の与えたもうた穀物である米に、目に見えない発酵カビ=麹菌を呼び込む。すると、米の表面に白い花のようなものが咲き、それを水に浸すと神の液体=酒になる。

米を神の身体だとすると、酒は神の液体(エッセンス)。
そしてそれを抽出する媒体となるのが、麹菌。麹菌は神さまからのメッセンジャー、不思議でありがたいカビだった。

秋、稲の収穫が終わると、その米を使って酒を仕込む。できた酒は、人間が飲む前にまず、神に捧げられる。正月、神社に酒が奉納されるのはこの起源の名残。

正月に振舞われる「お屠蘇」の語源には「悪鬼(蘇)を屠り、魂を再生させる」という説がある。

ヤマタノオロチを退治し、民族の魂を再生させるもの、それが日本における酒の起源、そして発酵の起源だ。

 

邪悪なものと神聖なものが入り交じるこの「発酵の起源」を考えて行くと、日本の文化人類学者の山口昌男氏の言う「歴史の起源におけるカオス」が見えてくる。


古代日本において、神は秩序をもたらすと同時に厄災をもたらす2つの側面を兼ね備えていた。
ヤマタノオロチを退治したスサノオも、手のつけられない暴れん坊の「荒ぶる神」だ。そう考えてみると、ヤマタノオロチを酔わせた酒も、同じような二面性を持っていることに気づく。

酒は豊穣を神に感謝する「清い酒」であると同時に、飲む者の暴力性を解き放ち、普段おとなしい部下に上司をなじらせる「荒ぶる酒」でもある。ヤマタノオロチを酒で酔わせたのは、一方では「清い酒で鎮めた」ということであり、もう一方では「荒ぶる酒で打ち倒した」ということでもある。この2つは歴史の起源において共存している。


なぜ起源において酒が神と結び付いているのか。
それは両者が「秩序と破壊の両方の顔」を持っているからだ。

人は酒を飲む度に、理性が麻痺してカオスの縁を覗くことになる。
それにも関わらず、親族や組織、あるいは神事におけるフォーマルな場には酒が欠かせない。
どう考えても矛盾しているのだが・・・・・と、考えていくと、発酵=酒にも秩序と破壊の両方の顔がある!

だって、発酵はつねに腐敗と隣合わせなのだから。
美味い酒も、放置して置くと酸っぱくなって悪臭を放つ。荒ぶる菌に乗っ取られると、その食べ物は人間の健康を破壊する暴力となる。

腐敗への恐怖が発酵を生み出した。ものごとが発酵している限りは、秩序は維持される。しかし発酵が作り出す快楽は、人を腐らせることもある。人類は秩序と破壊の際にあるエロスを恐れ、同時に激しく魅了され続けてきた。
酒、そしてそれを作り出す麹、ひいては発酵技術そのものが「日本民族のスピリチュアリティの起源」と密接に関わっているのではないかと思わずにいられない・・・。


参考書籍の「発酵文化人類学」を読みながら、ふむふむ…そうそう、そうだよねぇ〜!_φ( ̄ー ̄ )と普段師匠と語り合っている事と重ねていた。

「同じもの」「同じこと」「現象」をヒトはその時々の都合で良いように捉え、解釈、判断するわよね。
根本の根本から観て見ると起きていることは全く変わらずなのにね。

発酵したものを「臭い」「腐っている」からダメだ、嫌いだ!という方がいます。そんな人も発酵と腐敗を理解してくると、「全然平気になってくる」まして「自分に役立ってくる」と俄然、大好きになってくる。不健康から健康になってくると臭いの感度も変化し、「へっちゃら」になってくる。

私もちょっと前までは、臭いの好ましくないものは「腐っている」と思っていた。嫌っていた。排除していた。
そんなワタシが乳酸菌と出会い、考え方が変わり、生き方までも変化してきた。
どんどん、人生が豊かになってきていることを感じます。心が発酵してきてふっくらしてきたのかも・・・。

心が世の中の秩序でガチガチになっていたのが、ヒトとしての感覚を取り戻してきたからかもしれません。
自然へ関わり、自分自身も自然へと一体になっていく・・・。臆病者で卑怯な生き方をしていた自分がようやく目覚めてきたと改めて感じます。

この自然界にあるもの、体に取り入れている食べ物は小さな生命体の働きがあってこそ。そして既に体内にも存在している小さな生命、微生物たちは、本当に些細なヒトの感情という波動で容易に変化します。

発酵という営みからたくさんのものに気付かされます。今後もみなさんと沢山の発酵体験を分かち合っていきたいと想います。 【あるがまま】に感謝(^人^)



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